不思議なことは後から気づく

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バチカンでの不思議体験

 

人生五十年~♪ではないが、これだけ生きていると、誰しも不思議な体験の一つや二つは持っているだろう。ただ、あまりに普通のことで不思議を不思議と気づかないことが多々あるのではないか。

なぜか、先週からそんな不思議スイッチが入ってしまった。

今回は、後から気づいた不思議を紹介する。

1994年(だったと思う)のイタリア、バチカンでの出来事だ。
正直もう、記憶があやふやではあるが、本筋には関係ないだろうということで、綴っていくことにする。

その日は、雨が降っていた。ローマ市内のホテルから、タクシーで念願のバチカンに訪れる。

バチカンの入り口でタクシーを降りると、目の前に堂々とそびえる聖ピエトロ寺院。
10億人のカトリック教徒の総本山。
ものすごく、緊張してきた。

円弧に連なる建物を見やりつつ、ローマ建築の荘厳さと豪奢な造りに感動。
上部の聖人たちの彫刻は、下の人間たちからも細部がわかるような巨大なものだ。
その一つ一つが手抜きを許さない、敬虔な信仰心の表れのようで、感動に打ち震えた。

目印になっている噴水を横切り、歩くが、ふと違和感。自分たち以外の人がいない。事前情報では、混雑しまくるということだったのに。
確かに、雨の降る午後だ。観光時間から外れていたのだろうと軽くスルー。

システィナ礼拝堂から廻ろうということで、そちらへ行くと、今日は拝観できないと断られた。聖ピエトロ寺院は観光できるよ、と入り口で言われる。

ああ、礼拝できないから人がいないんだね、と周りと会話しながら、そちらへ向かった。

さあ、聖ピエトロ寺院だ。ここは無料で、見ることができる。
教科書や資料集でお馴染みの絵画や彫刻はあるかな?
天地創造や最後の審判はシスティナの方だったっけ?
緊張とワクワクが入り乱れた複雑な感情。

5つの扉を見て、その精緻さに息をのむ。
内部に入って、すぐ右手にあるのは「ピエタ」。ミケランジェロのピエタだ。
ガラスだかアクリルだかの透明のケースに収められたそれは、思いの外、小さい。
2mも幅はないんじゃないかしらん、とケースの周囲をグルグル回って360度から眺める。
美しい。
そして悲しい。
天才と呼ばれたミケランジェロの天才たる所以がここにある。
と、そんなこんなで、数ある美術品をじっくり、ゆっくり、一人静かに鑑賞していく。

さて、ここでの不思議な出来事だが、3つある。
まず、1つ目。

謎の地下空間


大聖堂の内部をぐるりと一周し終わり、一緒に行った人たちは、次々と外へ出ていった。
噴水で集合、ということだけ聞いて、私はまだ見たりないとばかりに気になる細部を観察する。

ツッと上着が引っ張られた。
仮にここではAとしよう。そのAが「まっちゃ、ちょっと」と腕を引っ張て行く。
「お、なになに」と引っ張られていった先は、ピエタの対角線上にあった。
壁と同化している扉が開いている。
Aが「ここって入ってもいいかなぁ」と言う。
本来なら、壁と同化している扉だし、観光客向けではなく非常口の役割を果たすものだろうと後になって気づいたが、そのときは気分が高揚していたせいか、好奇心が勝った。
「入ってみよう」
止めるAを置いて、私はするっと扉に内側へ入った。

灯りのついていない暗い空間の先に、すぐ階段がある。
下へ向かう階段だ。
「や、まずいんじゃないか」
なんとなく、Aがそんなことを言って止めたと思う。

でも、私はそんなAに構わず階段を下りる。
階段はごく短いもので、10段も下りないうちに下へ着いた。
また、扉がある。
開いていた。
「失礼しまーす」
日本語で言っても意味はないのに、小声でもそういってしまうのは日本人の習性だからか。

左手は壁、右手に向かって廊下が伸びている。
廊下の右側には、部屋だろうか。
そして、左側は中庭だった。
唐突に悟る。
「あ、これまずいやつだ」

後ろにいたAを押し返し、階段を駆け上る。
「ほらみろ、やっぱり駄目だったじゃないか!」
小声でAに叱責されながらも、私は「だって立ち入り禁止とかのロープが張ってなかったからさぁ。」などど言い訳したように記憶している。
そして、なんか気まずくなってしまって、集合場所へ向かったのだ。
「それにしても、あれは、なんだろうね」と尋ねるAに、「もしかしたら、修道士さんたちの個室なんじゃない?」とか答えた気がする。

これの何が不思議かって?
まあまあ、もうちょっと待ってくださいよ。種明かしはもう少し後。

先に次にいきます。今度は2つ目と3つ目同時に。

ドーム上部から追いかけてくる光

さて、集合場所で今の出来事をAとわいがやしていると、他の人たちが集まってきた。
そんな中でCさんと話していたBさんが「そういえばさー」と私の方を向いて、語りだす。
「大聖堂の中、すごく暗かったじゃん」
「そうそう、学校の講堂かよって思ったね」
「雨が降っていたからねー」(この時、すでに雨はやんでいた)
そして、Bさんがおもむろに
「大聖堂の上の方からさ、光がさーっと差し込んできたんだよね」
ほうほう、と私たちも聞き耳を立てた。
それは、確かに神秘的なものだろうなと。
大聖堂のドーム(玉ねぎみたいな、あれ)の周りには確かに明り取りの窓が周囲についており、私たちは電気のついていない講堂のような暗さの中で、その自然光の取り込む明るさの元で内部を見て回っていた。

「その光がさ、差し込んだ先にいたのは、抹茶小豆だったんだよね。」
へえー、へえー。
神秘的な光の先にいたのが、私で申し訳ない。
一体、この話の落ちはどこにあるのか。CさんやAも微妙な顔だった。
悪かったな!
Bさんはなおも続ける。
「それだけだったら、私もなんとも思わないけどね。……でも、その光がさ、抹茶の動きに合わせて、移動していくんだよ」

「え?それは、抹茶が動くと、光が追いかけてくるってこと?」
えー。何それ、怖い。
と、ここでほかの聞き耳を立てていた人たちも参戦。
「あ、それ。ぼくも見た」

「えー?」
「スポットライトが当たっているって感じだった」
「そうそう」
当の本人の私を置いてきぼりに話が進んでいるが、私は全く気づかなかったし、何も気づかなかった。
後日、そのうちの一人が「実は」と真顔で言ったことがある。

「自分には光が当たっているだけでなく、白い羽根がふわふわ舞っているように見えた」のだと。

続けて「お前、天使なんじゃない?」

そっかー、天使かぁ。天使ならしょうがないね。
本人を置き去りに、まっちゃあずき=天使説である。

ドゥォモ内部はどうして暗かった?

この話の中でのポイントが、大聖堂の中が暗かったことにあるのは、お判りいただけたと思う。
だが、なぜ、暗かったのだろうか。
現在、ネットなどで「バチカン 見どころ」「聖ピエトロ寺院」などで検索すると、それはそれは煌びやかな明るい内部の写真がてんこ盛りに出てくる。
それは、決して暗くはないのだ。

なぜ、私たちが訪れた時にはあんなに暗かったのか。
そして、雨も降っていたので、その暗さは相当なものだった。
暗くなければ、スポットライトのように、光が差し込んだことも分からなかったし、それが私を追いかけてくるなんて不思議現象にも誰も気づかなかったはずだ。

後日、実家でこの話を両親にした時、
「そういえば、あんたがもらった色紙覚えてる?」
と母が言った。
「天使って書いてあったでしょ」と。

鳥肌が立った。

現在でも不明な地下空間

この時代、まだインターネットなんてものは存在せず、情報を得るのは本と決まっていた。
数年後、ネットが普及し、私もご多分に漏れず、ネットサーフィンとやらにはまっていた。
ホワイトハウスやナサなど、の内部をネットで訪問できると知り、ふんすふんすと鼻息荒く、ネットに繋いでいた。
もちろん、バチカンも調べた。

ところが。
あの、大聖堂から続く地下の存在が不明だった。
今現在もまだ不明である。
調べると、位置的には宝物館なんだよなぁ。でも、地下通路を通るわけじゃないし。
地下というと、ネクロポリスが出てくるんだけど、あんな中庭なんてものはないし。
そもそも、カタコンベだし。
あの中庭は一体何だったんだろうと現在でも不思議に思っている次第。
まあ、観光客に公開しない場所なんて、いくらでもあるのだろうとは思っているんだけど、グーグルマップの衛星写真を見てもそれらしき、中庭のある場所はなさそう。
こういうのは、検証しないほうがいいのだろう。