前提として
幼稚園に通う前のこと。私は夜中に起きて、朝まで眠れないという日々が続いていた。
どのくらいの期間だったのかは、もう覚えていない。半年くらいだった気もするし、年単位だったかもしれない。少なくても、1週間やそこらではなかったと思う。
あんまり眠れなくて、遠方の祖母がしばらくの間滞在し、面倒を見てくれていた。母はというと、2歳下の妹の世話にかかりっきりだったから。
精神的にも不安定だったのだろう。それが、祖母が添い寝してくれるだけで、ぐっすり眠れたのだから。
でも、祖母が帰るとまた眠れない。悪循環。
夜中に起きて、朝まで眠れない。そこで、起き上がってしまえばいいのだけれど、自分は、もう自分が周りに迷惑をかけていることを知っていた。いつでも眠っているふりをした。
これが結構つらい。
一人しりとりをしたり、板天井の模様が○○に似ている遊びをしてみたり、柱の模様を数えたり、夜間の小さな灯りの下でできる遊びをするのも飽きる。
もういっそノイローゼだったんじゃないか。
夜が来るのが怖い。そんな、ある夜半のできごとだった。
毎夜現れる光の粒子
その日、なぜか、黄色い小さな灯りはついておらず、部屋の中は真っ暗闇だった。
闇とはいえ、しばらくすると、薄っすらと天井や電灯が見え始めてくる。白っぽい、それぐらい。
どれぐらい時間が経過したのかわからない。
ふと。
天井の隅に目をやった。
真上でなく、足の方の天井の隅だ。自分たちが東向きに寝ているとすると、北西にあたる。
そこに、もやもやと光の粒が集まっている。
その粒たちは1つ1つが発光していて、徐々に大きくなっていく。
目を見張った。なんだろう、とてもきれい。
声を上げたり、動いたらいけないと感じた。
ある程度のまとまりになった光の粒は、天井隅から流れ出るかのように、川のように帯となり、少しずつ降りてくる。
それは、本当にゆっくりで、その動きを見ているうちに私はいつの間にか眠ってしまった。
気がついたら朝。
誰にも言ってはいけない、私だけの秘密だ。なぜか、そう思っていた。
それから、毎晩、毎晩。
繰り返し光の帯が流れてくる。ゆっくり、ゆっくり、でも、確実に流れてくる距離が長くなっている。
天の川のようだなあ。
辛くてたまらなかった夜の時間に楽しみを見出した。
それを見ていると、いつの間にか安心して眠ってしまえるからだ。
いつまで続いたのだろうか。今となってはわからない。
が、終わりはやってきた。
小さな人たちの宴
だんだんと光る川の流れの行く先が、自分であると気が付いて暫くして。
或夜、普段よりも格段に粒子の動きは早かった。
川の流れは、北西から南東へ。それから左折して、自分の布団の方へと向かってきた。
相変わらず、声を出さず、ただ見つめるしか出来ない自分だったが、もっと、驚くことがおきた。
天井隅から、人が現れた。それは、一人ではなく、何人も何人も。
彼等は平安の装束を身にまとい、大行列となっている。
初めは、徒歩の男性たち、続いて刀を提げた侍、そのあとに、壺装束の女官たち。
それから、牛に引かれた車が何台か。車の周りにも、お供の人達がいる。
「お雛様だ!」
「お雛様が遊びに来てくれた!」
幼い私は、大事に大事にしていたお雛様が遊びに来てくれたのだと信じた。
そうこうしているうちに、光の川はいつの間にか、私のお腹の上まで来ていた。
行列の先頭にいた男たちが、そこから、私のお腹の上にぴょんと降りる。
ぴょん、ぴょん、と降りてくるので、私は絶対に動いてはいけないし、呼吸もできるだけ静かにしていた。
彼等は一様に小さくて、親指程度の大きさだったから。
そうして、身じろぎ一つ出来ずに、ただひたすらと小さな人たちを見守っていたのだが、先に降りた人たちは、私の枕の周りで何やらしている。
頭を動かせないので、雰囲気だけ。
布団に上がりこんできた感触もする。
頭の上に乗っている感触もある。耳にぶら下がっている人もいた。
牛車が降りる頃には、きちんと粒子の帯は布団に達しており、やんごとない人たちも無事に布団に降りた。
無事に降りたことを見届けた私は、枕の周りから音楽が流れ始めたことに気がついた。
なるべく動かないように注意して、視線を向けると、琴や箏、笛や鼓など和楽器を奏でている。
「お祭りだ!」
漠然とそう思った。
お腹の上では、蹴鞠を楽しんでいる貴族たちもいた。
お雛様は、美しく整えられた赤い敷物にお内裏様たちと座っていて、楽しそうにしていた。
ときどき、お腹から転がり落ちる人もいた。
お雛様が本当に大好きだったので、眠れない私を心配して、こうして出てきてくれた。
その喜びで一杯のわたしは、幸せと安心に包まれて、涙を目に溜めたまま、いつしか眠っていた。
♪こ~ど~もの頃に~だけ~
でも、その姿を見たのは一度だけで、以降もう二度と小さなお雛様たちや光の川のような粒子は現れていない。
かぐや姫の絵本を読んだのは、もっと後のことで、月の世界に帰るかぐや姫の行列を見た私は、そっくりだ、会いたいなぁ、と溜息を付いた。
この話は、ずっと「誰にも言ってはいけない」こととして私の中に封印されていた。
おそらく、それでずっと忘れていて、成人したあと、急に思い出したのだ。
なぜ、思い出したのか不明である。切っ掛けも何もなく、突然。
そして、「誰にも言ってはいけない」意識もなくなった。
子供の頃にだけ現れる不思議な現象って、本当に存在するのだろうなぁ。
ちなみに、不眠症に関してだが、あの時が一番ピークで、あれ以上ひどいことにはならなかった。
それにしても、なぜ、平安装束だったのだろうねぇ。
後に明らかになったことがある。
それは、地元の神社の主祭神が(今では変わってしまったが明治以前までは)、スクナヒコ(少彦名神)さんだったということだ。
あれは、おそらく、いやきっと。
スクナヒコさんが遣わしてくれたのだろう。