1学期末テストから見えた学力格差の拡大
こんにちは。期末テストは終わりましたか?
うちの子たちの平均点は204点でした。
静岡県の場合、50点満点×5教科で、合計250点満点です。
学校平均点は中2が119点、中3が149点なので、今回も大 成 功 !!
ただ、1位は逃しました。残念
いつも1学期は全般的に平均点が高いのですが、今回は無茶苦茶に低い結果と相成りました。当然と言えば、当然ですが。
休校中はプリント類の宿題しか出さずに、学校が再開したと思ったら
子どもたちの理解度などお構いなしのハイスピードで、結局、現在は例年と同じ進度状況。
ちょっと、一言。
一体、だれのための学校なんでしょうかね~~~!
静岡県の教育員会は、6月中旬に今年の入試範囲に関して「例年と同じ」であると声明を出しています。
文科省が受験範囲を考慮するように通達し、他県が追随して、融資範囲を狭めたり、範囲を選択にしたりする中で、静岡は、全く!子どもたちに配慮せず!!
となると、ゴール地点から考えれば、例年と同じ足並みにそろえるのは自明なわけで。
思い切り、学力格差が広がっているじゃあないですか!!!!
できる子にとって学校こそ不要
塾は必要ない、と断言する学校教師が多い静岡県ですが、言いたい。
あんたら、塾がなかったら、こんなもんじゃすまなかったよ!
通塾している子、自力で学習している子がいたから、教室内で「わからない」「できない」っていう空気が抑えられているわけで。
はたまた、アクティブラーニングだとかで、結局はできる生徒ができない生徒へ教える時間ばかり取るから何とかなっているわけで。
塾不要論で「学校で学べばいい」と思ってきた子どもたちへ、一体全体、どう責任取るんだと。あるいは、いわゆる「できる子」たち頼み過ぎて、その子らの学ぶ権利を奪っていることにいい加減気づいてもらいたい。
二極化が進む一方、補習をするわけでもなく、ひたすら放課後は部活動をやらせるのはなんなのか?
だとしたら、もう学校は学ぶ場としては機能していないんじゃないの?ただの思い出作りの場所、としか思えない。
あるいは「社会性を養う」場所であるという人もいるが、もっと悪い言葉を使うとすれば、それって単なる隷属を身に着ける場所なんじゃないの。
え?納得できない?
だって、静岡県のみならず、他県でも高校入試に必要なのは得点力だけじゃあないですよね。内申点が必要です。
あれって、いわゆる教師の言うことを素直に聞く、あるいは教師から好かれる生徒は高くつけられるものでしょう?
いくら得点力が高い生徒でも、態度が悪かったり提出物を出さなかったりすれば、低い内申になりますよ。「顔が気に食わない」から内申が低い生徒もいました。
ああ、こんなこともありましたよ。
もう、20年以上前ですが「お茶」の俳句大賞に何度も入選している中学生がいました。選者たちからの覚えも目出度く、学校でも度々表彰されていました。それだけではなく、テストの点数も高く提出物もきちんと出す。
なのに、通信簿は5段階で「3」。学年一位の点数を取っても「3」。
その子は私のもとへやってきて「悔しい、悔しい」と堰を切ったように泣きました。後日、判明したことは国語の教師のその子への「嫉妬」という、如何ともしがたい理由。
この内申制度が受験に影響を及ぼさないというのならまだしも、静岡は内申重視の合否判定をします。
これって、なんのために行われているんですかね?
話を元に戻しますね。
わざわざ学校という箱へ出向いて学ぶ必然性というものがないということを、図らずも学校自身が示してしまった結果が、この期末テストは示しているわけで、コロナ休校によって、子どもたちはオンラインで十分学習が成立しうることを体験したわけです。
これまで、無視されてきた不登校児童たちへは一つの光明となるやもしれません。
もう、学校は「学び舎」の性質は失われてしまって、単なる「託児施設」なんじゃないでしょうか。言うことを聞かないと試合に出してもらえない「躾」という名の隷属(従属)を身に着ける場所なんじゃないかなぁと思うわけです。
それを、「運動会」なり「合唱」なりといったイベントでごまかしているだけに過ぎないんじゃないかなぁ。
長くなりそうなので、今日はここまで。
あ、そうそう英語コーナーに英作文シリーズ「中3のL3」を追加しています。良かったらどうぞ。