こんにちは。まっちゃあずきです。
先日から兵庫県東須磨小学校で教師による教師いじめが話題になっていますね。
ただ、これは本当に氷山の一角で、昔から「学校で一番いじめが多いのは職員室である」というのは、教育に携わる人間なら皆知っていたことです。
やっと表層に出てきたか、というのが私個人の偽らざる感情です。
もちろん、被害にあわれた若手教師たちの心情を思うと、なんともやりきれない思いでいっぱいですし、今後の人生に幸あれと心から祈ります。
ここ数年、これまでは見逃されてきた悪事が露見し、記者会見が行われ、さらにバッシングという構図ばかりが目につきますね。
組織では政治家の汚職は言うまでもなく日大などのスポーツ関係から吉本・ジャニなどの芸能関係、東電関電などの企業系など挙げればきりがない。
個人レベルでも虐待が日常的に報道されています。
自分自身のストレスを他者をサンドバッグにすることで、そのうっ憤を晴らすような、小悪人から真の悪人まで枚挙に暇がないです。
そんな幼稚でお粗末な国民性ではなかったはずなんだよなー。で、思いついたことがまず、一つ。
お天道様が見てる
これを教育すればいいじゃん。変な道徳教育なんて不要。
核家族化されてから聞かなくなった言葉の一つですが、じいちゃんばあちゃんと一緒に暮らしていた時代、ご近所のお付き合いが普通にあった時代、隣組がきちんと生きていた時代。
だれからともなく、「誰も見ていなくともお天道様は見ている」と聞かされたものです。もしかしたら、水戸黄門なんかの時代劇から入ってきたという人もいるでしょう。私は母方の祖母と時代劇の両方から聞いてきました。
悪事だけでなく、善行だって「お天道様は知っている」と。
私はむしろ、人知れずの善行で使うべきだと思っていたのです。悪事の場合は「天に唾はきゃ自分に返る」と使い分けていたんですよね。
ただ、教育を底の底から始めるのなら「お天道様が見てる」がシンプルでわかりやすく、口にしやすいんじゃないかなって。
明治から昭和前半生まれまでの日本人たちはそんな精神を自然に受け継いでいた。
決して「いじめ」がなかったとは言いませんし、小悪党や性悪はどこにでもいるものです。村社会の中で自然と「目」を意識していただけかもしれない。
でも、少なくとも今露見されているような幼稚な国民性ではなかったと思います。
「いじめ」は犯罪である
さて、学校教育に話を戻します。
まず、「いじめ」なんて軽い言葉でごまかすな!ということです。れっきとした犯罪であるということを全国民が周知徹底すべきです。
悪口は名誉棄損もしくは侮辱罪。
殴られたり、蹴られたりは暴行罪。
第三者を使って被害者に何かをすることを教唆罪。
物を隠す、破損するは器物損壊罪。
いいですか?れっきとした犯罪には違いないんですよ。
子どもだから?教育だから?
それがどうした。子どもだからこそ、それは悪いことであり、犯罪なんだということを教えるのが教育なんじゃないのか!ってことです。変な人権主義に惑わされないように。
海外では、(たしかオーストラリアだったと記憶しているんですけど)学校教育を受けている未成年者が「いじめ」(怒)を行った場合、その保護者が代わりに実刑判決を受けるんですよ。(もうだいぶ前の話で現在がどうなのか定かではありませんが。)保護者が実刑を拒否した場合は、加害者である子どもが懲役か罰金刑になるんじゃなかったかな。(この辺だいぶあいまいなので後日調べなおしますね。)
そして、実態は須らく公表される。
日本もそうすればいい。下手に隠すから蔓延するのだ。
教育は国家百年の大計である
教員免許状をポンポン発行するな!採用にコネを使うな!
「教育は国家百年の大計である」と言ったのは誰だったか。確か、レーガン大統領時代のアメリカで出てきた言葉。
我が国は一時「ゆとり教育」をしていましたが、あれはアメリカから輸入したもの。
そして、学力の低下が止まらないアメリカをどうにかするために「日本の教育システム」を取り入れたんです。そのときに使った言葉だったと記憶してます。それでアメリカの学力低下にストップがかかったのは事実です。
それなのに、日本の文科省の役人は「わざわざ」失敗したアメリカ型「ゆとり」を始めさせた。
今更「ゆとり教育」の糾弾をするつもりはなかったけれども、現在のわが国の憂える現状の一端を担っているのがそれにある以上、糾弾すべきなんだろう。
よろしいですか?この役人サンは文科省を退職した後、朝鮮学校の校長に就任しているわけで、さらにいうなら、日本のこどもたちには「ゆとり」をごり押しした癖に朝鮮学校ではスパルタ教育をさせた、という曲者です。こんなのが文科省のトップにいたという事実から何が見えてくる?
そういうことです。
思い浮かばなかったら、よく考えてみてください。
次に、赤字で書いた「教員免許状をポンポン発行するな」「採用にコネを使うな」について。
「教育は国家百年の大計」であるということを核にして考えましょう。
学力の低下だけでなく、教師の質も低下していることにもっと危機感を持たないといけません。
教師の質が低下しているのは教員免許状をポンポン発行していることと優秀な学生でなく縁故採用によるゆえです。
具体例として、静岡県をあげましょう。
この県は、県内のとある大学・教育学部出身でなければ教師採用されないといわれています。
Uターン学生なんか、ハナから除外されおり、ひどい場合だと教育実習すら受け入れを拒否するという地です。なんてバカらしい。
Uターンでも教師を身内に持つ学生は採用される不思議。
最初からコネ採用なら、そりゃあ隠ぺい体質にもなるでしょうねえ。周りは全部身内なんだもの。これが静岡だけならいいんでしょうけど、おそらくは大なり小なり他県だってあるんでしょうね。
だから、言いたいことは教職は医者と同じくらい合格するのが大変な資格持ちにすべきであるという点。
使い捨てても構わない、だって教職の免許持ってる者はそこら中にいる。
こんな考えを持たせてはいかんのです。
だれに?学校教育に携わるすべての人間に。
今、すぐに取るべき対処
さて、ここまで書いてきましたが、どれも時間がかかるものばかり。
では真っ先にしなくちゃならないのは何だろうか。
それは、いくつかあるんです。
問題なのは学校という閉鎖空間。だからそこに風穴を開ける。
つまりは第三者の介入ということですね。
警察がいちばんいいのかな。
各学校に派出所を設ける。
学校というのは、いわばそれぞれの地域そのもの。特に小中学校は。一つのコミュニティーに派出所がないなんてことは本来は考えられないんだよね。
場所はどうするの?そりゃあ、空き教室なんて今はいくらでもあるでしょう。校内ですよ。
癒着を防ぐためには、当番制で月替わりとかいろいろ考えなくちゃならないことはあるけれども、今現実にできることはこれかなって気がしています。
2つ目に「いじめ(怒)研修」を担当者だけでなく、学校にいるすべての人間(もちろん保護者や学生を含め)が受講する。
その際、いじめは犯罪であると周知徹底する。
だから、講座を受け持つのは、法律関係者がいいんじゃないでしょうか。
弁護士とか裁判官とか。
ああ、裁判官はいいかもしれません。国民が裁判に協力しているんだから、逆に協力させれば。それに、犯罪が減るかと思えば協力もするでしょう。
以上、今日はここまで。