こんにちは。まっちゃあずきです。
今日は、前回の「シリーズ学習①」のつづきで、演習と暗記についてお話します。
演習の不足
演習している量、これがやはりまだ全般に不足しているように思います。
ただこれは、絶対基準というものがなく、生徒の能力によってどこまで増やせばいいのかという単純な図式もありません。
また、それ以上に、その演習を通して生徒が何を学び取るか、その目的意識と作業のなかの集中度や取り組む姿勢にこそ直すべき課題があるのであって、共通した土俵では言えないところです。
さらに、単純な繰り返しだけでもダメで、絶えず考えながら問題にあたるという、そして基礎からある程度応用までを含んだ問題構成のなかで演習するという、そういう環境が与えられた問題集で、勉強するのが望まれます。スマイルゼミやeトレなら可能です。
「理解」:「演習」:「暗記」=2:4:4
「繰り返して練習するよりもさらに忘れにくい方法。それが『理解する』ことです。
そのためにただ暗記するのではなく、常に「なぜ?」そうなるのかを考えるようにしましょう。
理由がわかれば「なるほど!」と納得できます。
このように納得して憶えたものは単純な暗記と違って 忘れる率が大幅に低くなります。
特に中学生から高校生にかけて脳の発達段階が単純な記憶から理解し納得する記憶へ移行して行く時期なので、理解し納得する学習は非常に合理的で効果のある勉強法なのです。
さらに、丸暗記は単純でつまらない作業ですが、理解し納得する学習が身につくと達成感があって勉強の面白さがわかってきます。」
はい。これは私が以前勤めていた予備校で語っていたことです。
理解することが忘れにくい暗記の方法だ。確かにそうです。一部の内容では。
なぜそうなるのか、常にその理由を考え、なるほどと納得し理解したものは、非常に合理的で効果のある勉強法だとも書いています。
しかしこれは、理数の分野の勉強の入口の論理で、理解するなんてことは、勉強する上において当たり前のことでしょう。
理解したそのあとの結果は、どうなんだ?!理解することが忘れにくい暗記の方法なら、実力テストで平均点が20点になるようなひどい点数を、生徒はとらないと思うけれどね。
日本史・世界史の事象、年代の暗記、あれを理解し納得する記憶と呼ぶのだろうか。英単語を理解納得するのだろうか?
「暗記」のなかの一つして「丸暗記」があるかと解釈しますが、この言葉には負のイメージのレッテルが貼られていて、たとえばテスト前の一夜漬けのようなその場しのぎの勉強がイメージされるので、これをまったく否定するつもりはわたしにはありませんが、前回より述べようとしている暗記とはその意味合いが異なりますので、あくまでわたしの使用する暗記は、それ以外のふつうに行われるさまざまな暗記と捉えていただきたい。
暗記は単純でつまらない作業です?
世のなかには、わたしらが一見単純でつまらない作業に思えるようなことを気の遠くなるほど延々と続けて、また積み重ねて、その規模の大少関係なく壮大にものをあるいはほとほと感心する作品を創りあげる人が、多数いますよね。
人体に悪い影響を及ぼさないため化学肥料をあまり使わず、そのため腰を屈めて採っても採っても毎日のように伸びる雑草と格闘し続ける農家の人の話。
これを単純でつまらない作業とは誰も考えない。
単純な実験と調査を数年も繰り返してやっと製品化にこぎつけるものもあるでしょう。このようなことをちょっと思い浮かべればいくらだってありそうですが、そもそも我々の日々の生活のなかですら、食事作りから掃除、洗濯、その他家事全般、単純といえば単純、しかしほんとに大切な作業の繰り返しをつまらないとは思わず(ときに思うことがあっても)、ふつうにまた懸命にやっていることでしょう。
ゆえに、というわけではありませんが、そんな道理を書くまでもなく、‘暗記’を単純でつまらないと感じるのは、勉強に手間と時間をかけたくないだけの単に甘ったれた感情の部分が大きい、とわたしは思っています。
もし単純な作業をつまらないと思うなら、勉強だけではなく多くの仕事にも上面だけなぜてその大事さに気づかないことになるんじゃないでしょうか。
私の本心としては、ですね。‘暗記’は単純で、とは考えていないんですよ。
よしんば単純であっても、そこにいろいろと工夫をしたり、気分の転換を図る術を採り入れたら、ずいぶん面白く取り組める。新しいことを理解し、納得することだけが、勉強の面白さではない。
そこを教えたり実際の学習のなかで折に触れてアドバイスをしたりする教師はほんとに数少ないだろうし、また期待することも難しい。
その具体的方法(即ち、奇抜なものではなく平凡なことです)を2、3例を挙げてみてもほとんどたいした意味はない。
なぜなら、たとえわかったとしてもやるかどうかは本人次第であろうし、勉強に手間と時間をかけるという当たり前の心根、気持がまずその根底にあって成り立つであろうから。
つまり、生徒自身が自分に適ったものを見つけ、改善と工夫を積み重ねて実践していくことが、なにより求められるのでしょう。
これができないから、またはわかっていないから、勉強のしかたをどうすればいいかとか、効率的な勉強のしかたやコツを教えてほしいとか、そんな大まかで実は捉えどころのない空虚な質問を、中3になっても(高校生でも)平気でネット上に溢れるほど。
さらに嘆かわしいのは保護者で、「うちの子は勉強のやり方がわかってないみたいで…」と平気で口にする。あたかも勉強法がわかりさえすれば、点数が上がるとでも思っているかのようだ。
はっきり厳しく言いますと、答えはノー!
あなたのお子さんは学習方法がわからないわけではなく、それを勉強しないことの言い訳にしているだけだとなぜ気づかないんだろう?
学習全体を10とした場合、ほんとうに実力をつける勉強のあり方でいうなら、「理解」:「演習」:「暗記」=2:4:4の比重くらいになると書きました。
しかし理解を支え、持続させるのは暗記でしょう。
これがわかっていない。
演習のなかでも暗記は深めていかねばならない。
これもわかっていない生徒は多い。
暗記のための暗記もときに泥臭く無心にしてゆかねばならない。
3つの学習に跨って、暗記は学習全体を支えているのである。その結果持っている力が、実力でしょう。