こんにちは、まっちゃあずきです。
今年は自分の働き方改革をしていて、「休む時は休む」を信条にしています。塾業界はちょっと働きすぎだと思うの。個人で塾をやっていても、年間休日は今まで数えるほどだったし、盆や正月は講座で忙しいし、まとまった休みは取れないし。
でも、スマイルゼミを取り入れてからは、学年ごとの授業にする必要性がなくなって、休日が大幅に増えました。好きな旅や歴史の探求もできるし、現在はかなり自由な時間を満喫しています。
先日の休暇中、高橋克彦氏の「竜の棺」をリピートしていてふと気づいたことがありました。もう何十回も読んでいるのに、毎回毎回ふしぎ発見がある。今回はそれを紹介します。
因幡の白兎の正体は竜?
「古事記」のおよそ3分の1が出雲神話で占められている点から、出雲の重要性はだれでも気づく。
ただ、出雲の建国や国譲りなどが語られているのだけならわかるけれども、どうして因幡の白兎の話を延々とする必要があるんだろうかとは前々から腑に落ちなかった。
思い切りファンタジー。
出雲大社のあちらこちらにかわいらしいうさぎの石像が置かれている。うむ、ファンシーグッズのようだ。
そしてこのファンシーさが因幡の白兎伝説を不鮮明にさせているんだろうと思う。
しかし、古事記には因幡の白兎の記述に白いうさぎとは書かれていないことをご存じだろうか。
「竜の棺」では、兎が着物をはがされて砂浜に倒れている。というところから、主人公が兎の皮がはがされたんじゃない。着物だっていうんだよね。
兎はウサギのようなもの。すなわち小人タイプのエイリアンだろうって。そして、それは同時にスクナビコノ命であると。
で、出雲大社で証拠を探すわけだけども。あれ?逆だったかな?
では古事記原文に当ってみよう
青空文庫から早速ダウンロードしましょう。もちろん原文はすべて漢文なので限りなく忠実に訳したものですが。(太字や下線はまっちゃあずきによる)
“この大國主の命の兄弟は、澤山おいでになりました。
しかし國は皆大國主の命にお讓り申しました。
お讓り申し上げたわけは、その大勢の神が皆因幡《いなば》のヤガミ姫と結婚しようという心があつて、一緒に因幡に行きました。
時に大國主の命に袋を負わせ從者として連れて行きました。
そしてケタの埼に行きました時に裸になつた兎が伏しておりました。
大勢の神がその兎に言いましたには、「お前はこの海水を浴びて風の吹くのに當つて高山の尾上《おのえ》に寢ているとよい」と言いました。
それでこの兎が大勢の神の教えた通りにして寢ておりました。
ところがその海水の乾くままに身の皮が悉く風に吹き拆《さ》かれたから痛んで泣き伏しておりますと、最後に來た大國主の命がその兎を見て、「何だつて泣き伏しているのですか」とお尋ねになつたので、
兎が申しますよう、
「わたくしは隱岐の島にいてこの國に渡りたいと思つていましたけれども渡るすべがございませんでしたから、海の鰐《わに》を欺いて言いましたのは、わたしはあなたとどちらが一族が多いか競《くら》べて見ましよう。
あなたは一族を悉く連れて來てこの島からケタの埼《さき》まで皆竝んで伏していらつしやい。
わたしはその上を蹈んで走りながら勘定をして、わたしの一族とどちらが多いかということを知りましようと言いましたから、欺かれて竝んで伏している時に、わたくしはその上を蹈んで渡つて來て、今土におりようとする時に、お前はわたしに欺されたと言うか言わない時に、一番端《はし》に伏していた鰐がわたくしを捕えてすつかり着物を剥いでしまいました。
それで困つて泣いて悲しんでおりましたところ、先においでになつた大勢の神樣が、海水を浴びて風に當つて寢ておれとお教えになりましたからその教えの通りにしましたところすつかり身體《からだ》をこわしました」と申しました。
そこで大國主の命は、その兎にお教え遊ばされるには、「いそいであの水門に往つて、水で身體を洗つてその水門の蒲《がま》の花粉を取つて、敷き散らしてその上に輾《ころが》り《まわ》つたなら、お前の身はもとの膚のようにきつと治るだろう」とお教えになりました。
依つて教えた通りにしましたから、その身はもとの通りになりました。これが因幡の白兎というものです。
今では兎神といつております。そこで兎が喜んで大國主の命に申しましたことには、「あの大勢の神はきつとヤガミ姫を得られないでしよう。袋を背負つておられても、きつとあなたが得るでしよう」と申しました。”
古事記の記述をパートごとに分けてみよう
A プロローグ
① 大国主は兄弟たちから国をすべて譲り受けた。
② その理由は因幡の白兎がきっかけになった。
③ 直接の原因はヤガミヒメである。
B 兎と鰐
① 素兎は、隠岐から渡ってきた。
② 素兎は海のワニと一族の数比べを持ち掛けた。
③ 海の鰐を並べてその背を跳んできた。
④ ワニたちを利用しただけであることがばれて素兎は着物をはがされた。
C 兎が痛くて泣いていた理由
① 身包みはがされた兎が困って泣いているところに、大国主の兄弟たちがやってくる
② 海水を浴びた後に、風にあたって寝ていろと教えられる
③ その結果、体を壊した
D 大国主との邂逅と兎の予言パート
① 大国主からの助言
② 兎の予言と神へ
となっている。
確かに、ウサギの皮がはがされたではなく、着物をはがされたといっている。後世、誰かがウサギの着物を皮だと読み間違えたのだとわかる。裸のウサギを素兎と記述があった。素兎がなぜ白兎になったのだろうか。
また、海水浴の後、清水で体を洗わないまま乾かしたら、そりゃあ肌がピリピリするだろうし、古事記原文は自然の記述がなされているなと思う。
私たちは結構な思い込み・刷り込みでこの因幡の白兎をおとぎ話・ファンタジックにとらえているが、こうした姿勢をあらためないといけない。
以上のように、箇条書きすることで気になることが出てくる。
Aパートからわかること→大国主たち兄弟が内乱状態→同族内乱のちに勝者が大国主となった
Bパートからは→兎は海からやってきた。その際に、鰐に助けられた点。⇒鰐は海の一族で、兎を送り届けるために船を出したという暗喩?→数比べは到着した時のいざこざでは?
Cパートから→この記述はいるのか?ということ→いる→Bの結果、文字通り身ぐるみ剥がされた兎にさらに追い打ちをかけたということ
Dパート→大国主がヤガミヒメを娶って勝者になることを兎が予言し、神となる
予言をする兎?なぜ?兎が予言をするのか。
予言をするのなら、それは神だ。
「兎神と呼ばれている」というのは納得する。
ふと、兎はウサギじゃなくて、兎(う)なんじゃないかと思った。
確か、中国の古代王朝に兎という支配者がいたなと。早速、ネットで確認する。
いた。
正確には「禹」。夏王朝の支配者が禹だった。しかも創始者だった。
え!?夏! ドンピシャ?なかなか侮れないぞ、直観。
古代中国の最初の支配者は伏犠や女媧という半身が蛇の化身。蛇つまりは竜である。
そして、治水事業を行った人物とある。
紀元前千九百年ごろ。ちょっとウイキペディアのリンクを貼っておきますね。
さらに私が「これ!」と思ったのは白川静による「禹」は本来は蜥蜴や鰐・竜の姿の象形文字であり、起源は黄河に住む水神だという説。
「禹」は蜥蜴や鰐・竜の姿の象形文字なんだね?
形が長細いものを総じて禹っていうんだね?
水神が竜であるのもここからきてるんだね。
つながった。
「禹」は因幡の白兎であり、ウサギではなく竜。
また、白兎をだました鰐(古事記では和邇)もまたワニでなく「禹」だ。 もう一度言います。あの一般的なワニではなく、学者らが良く言うフカでもなく、「八尋鰐」です。
八尋鰐というのは何か。
くどいようですが、海幸・山幸神話での豊玉姫がお産を参考にしましょうか。
兎と鰐は「禹」
海神の娘、豊玉姫が本来の姿になって子を産む姿を見られたくないからと夫山幸彦に念押しした後、産屋に入るも、あまりに苦しそうな声に山幸彦は心配になって産屋の中をのぞく。そこには、八丈の長さの鰐がのたくっていた、というものです。
八丈の長さは約24メートルだそうです。これは、海龍でしょう?
アリゲータでもクロコダイルでもなければサメでもないと思いませんか?
だって豊玉姫は、大海神の娘なんですから。
つまり、鰐は海龍。大海神の系統で禹もまた龍ってことになる。
因幡の兎だって、サメやワニの背を走っていくよりも竜の背のほうが走りやすいよね。形が細長いものを総じて禹と呼ぶんだ。
そうすると、因幡の白兎のあの話は大国主とウサギのほのぼのファンタジーじゃなく、大国主たちが同族内乱をしているところに、海からやってきた(別に隠岐でなくてもよい)兎が渡来し助力。
その際、海神族系の禹である鰐が船を出してくれる。ただし、何らかの見返りがあったはずだが、結果として見返りはなかった。「だまされた」と怒った鰐が報復し、弱まった兎に追い討ちをかけた八十神たち。
兎は大国主と出会い、体を治す。そして予言をして、大国主が勝利。
建国神話としてはファンタジーよりも確かに相応しい!
それでは、鰐も兎も同じ竜系なのにどうして名前が異なるのか?という疑問が出てくるけれども、これは渡来時期が異なるからとしか言いようがない。
実際、兎は鰐の協力で海を渡ってきたわけだから、鰐はそれ以前に海原を開拓していたということでもあるし、兎のいた海の向こうの島(隠岐なのかは疑わしい)との航海ルートを持っていたと考えられるし。
それで、大国主時代に渡ってきた禹を兎とし、それ以前に渡ってきた禹は鰐とされたんじゃないかなって。
兎=禹なのか?
禹は土木事業や治水事業に長けた集団であることも分かっている。
もう一つ、禹が因幡の兎であることの証明をしてみようか。ウィキから「禹」の治水事業の部分を抜粋する。
“帝堯の時代に、禹は治水事業に失敗した父の後を継ぎ、舜に推挙される形で、黄河の治水にあたった。『列子』楊朱第七によれば、このとき仕事に打ち込みすぎ、身体が半身不随になり、手足はひび・あかぎれだらけになったという。しかしこの伝説は、どうも元来存在した「禹は偏枯なり」という描写を後世に合理的に解釈した結果うまれた物語のようである。”
わかりましたか?
禹は「身体が半身不随になり、手足はひび・あかぎれだらけになった」とあります。
もう一度、大国主と素兎との邂逅部分を確認します。
海水で痛みに苦しんでいたウサギの体に風が吹くと皮膚がひび割れたとありますね。
そこで気になるのは、禹の伝説は後世作られた恣意的なものだという部分ですが、これは禹という人物がそういうイメージを持たれていたと解釈すればいいわけで、うがった見方をすれば、因幡の白兎伝説の中国への逆輸入だとも考えられるわけです。
どうも日本人は大陸からの文化の輸入は当たり前だと思うのに、我が国からの輸出という部分を考えないという節がある。
往来があったのだから、知識も文化も混じりあうのが自然だろうと私は考える。
今日はここまで。
次は、どうしようか。スクナヒコ命にしようか。