昨年は春と秋に出雲へ旅をした。
どうも、日本平の東照宮詣でから、なぜか、導かれているように、これまで全く気にしたことがなかった場所へと訪れている。
特に出雲には一年で二度も行く羽目になるとは思わなかった。これも不思議。
一度目の旅での不思議な出来事
昨年の春休みに初訪問した出雲。
出雲大社はじめ八重垣神社、神魂神社、熊野大社、須賀神社とスサノオさんに関係のある神社を巡った。
見事に神社巡りである。
日御碕神社は入口まで行って引き返した。後で語るかもしれない。
特にお願いをしたわけではなかった。
いや、お願いというか一般的な「金運」「健康運」とかいうのでなくという意味で。
神魂神社では「多くの神さまと出会えますように」と願い、出雲大社では「事故なく無事に帰宅できますように」と祈願したので全く無欲というわけではなかったけれども。
初めに断っておきますが、私個人は神社というものは歴史上の遺物であり、聖地であって、そこに神がいるとは信じていなかった人間です。
神魂神社の圧倒的な神聖さに思わず手を合わせてしまったけれども、零感というか、ノー感というか。
そうですね、お墓参りに行くでしょう。そこに本当に祖霊がいるとは思っていないけれども手を合わせるのが礼儀、みたいな感覚です。
ところが、です。それを覆す出来事が起こった。起こっちゃった。
出雲大社で
二日目の宿泊地は出雲大社の前にある道の駅で車中泊。
玉造温泉で入浴したからなのか、運転疲れなのか、わからないけれども猛烈に片頭痛と共に吐き気が襲ってきました。
薬を服用しようにも、昼を抜いていて、さらに吐き気で夕飯も食べられず、眠気もひどく、という状況で、パッとカーテンをつけて寝袋を出し、とりあえず寝ました。およそ、1時間半。
時計を見ると、21時。
頭痛はあれども吐き気はましになっていたので、もそもそと起きだし、コンビニで買っておいたお弁当とサラダを食し、薬を服用。
持っててよかった「ケロリン」。効き目は抜群だ。
外はどうやら雨が降っている様子。
歯磨き洗顔と新鮮な空気を求め、外へ出ると、激しい稲妻が引佐の浜の方角に落ちる。
途端に大降りへ。
しばらく外で雷を眺めてつつ、ぽーっとしていました。
駐車場には他にも車中泊をしているクルマがあって、駐車場の向かいにはコンビニがあり、怖くはない場所です。その後、本格的に寝る準備をし、爆睡しました。
翌朝、気持ちよく起きだして明け方4時半。疲れもすっかり取れています。
空は見事に晴れ渡り、快晴です。
すると、隣のスペースに駐車していたキャンピングカーの奥様に話しかけられました。
「昨晩は眠れましたか?」
「ええ、ぐっすりと。」
「あら、すごいわね。大きな雹が降ったのよ?」
「ええ~っ!?」
「……(信じられないという顔)」
「全く気づきませんでした。」
「…まあ、眠れたならよかったですね~」
彼女は音が気になって眠れなかったそうです。
後から知りましたが、この時、出雲大社周辺だけが雨で、島根県全体は雪が降っていたようです。
雷雨が雪を溶かしてくれたんでしょうね。守られているんですね。
辿り着けなかった日御碕神社
着替えをしたり、車内を片付けたりして6時に大社をご参拝。ゆっくり、ゆったり思う存分堪能しました。
桜がいい感じに咲いていました。青い空がバックですから、とても美しい。
本当に、昨夜はひょうが降ったんでしょうか?といわんばかりの快晴ですね。
さあ、次は博物館だけれども、まだ時間が早いな、と朝食をコンビニでとっていると、山陰地方に大雪警報が出ているという情報が。
イートインコーナーでは冬用タイヤを外したばかりだからという話が漏れ聞こえてきます。
もう一泊するつもりであったけれども、これは流石に帰らなきゃいけないのかな、でも、せっかく来たんだし、出発は昼にして、引佐の浜と日御碕神社に行くんだと決めたわけです。
時間があれば、博物館に寄ろうっと。
ところが。
大雪情報は、おそらく、危険信号だったと思うのですが、無視してしまったからでしょうか。
引佐の浜の看板は簡単に目についたのに、入る場所がわからず素通りしてしまいました。
ええい、こうなったら、先に日御碕だ!と勇んで海岸沿いの山道を進みます。
ところが、至る所で工事による片道通行だったり、ナビの誘導がおかしかったりして、全く辿り着けません。
一本道なのに。
ナビの誘導で、「ぽつんと一軒家」のような道を行く羽目になりました。
対向車が着たら終わり。
そんな道を延々と。
漸く抜け出た。
と思ったら、競輪の選手でしょうか、行く手を遮ることも相まって、非常にイライラしていました。
最終的に、バスの後ろについて行きました。
ついた場所は、ナビでは確かに日御碕神社とあるのですが、肝心の神社がありません。
あれ?あれえ?と思っているうちに強く風が吹き、風花が舞ってきました。
そこでようやく、「あ、帰りなさいってことなのかな」と思い至りました。
折角、入り口まで来たのに引き返したわけがこれです。
そして、帰り道では簡単に引佐の浜への行き方がわかりました。
でも、アクシデントが発生していました。
ドライブレコーダーのメモリーが故障。
もう寄り道はできないんだろうなぁ。
とりあえず、100万ボルトへ行って(到着するまでにも紆余曲折があった)メモリーを購入。
ちょっと言っておきますが、私、クルマを買い替えたばっかりで、この旅が初のドライブだったんですよね。
ドライブレコーダーも、納車が遅れたお詫びにつけてもらったもので、もちろん新品です。
なのに、メモリーが故障するなんてねえ。
ええ、一杯になったらもう一度最初から録画できるっていうのです。
現にそれ以降は無事です。
寄り道せずにとっとと帰れということなんだろうなあとつくづく思いました。
出雲リベンジを決めて帰路につきました。
帰り道は雪が舞って、そして…
出雲市は晴天だったのに、松江自動車道は曇天から雨天、ついには雪が降ってきました。
1車線で追い越し禁止区間が長く、また、標高の高い場所を通るため、そろりそろりと進みます。
スリップしたらあっという間に山の下です。
緊張しまくりの松江自動車道は、ついには吹雪いてきました。
まずい、チェーン規制になるかもしれない。早く抜け出さなきゃ。
なんとか、降雪地帯を抜け、中国自動車道へ抜けたときは思いのほか体がこわばってガチガチになっておりました。こういうのって、後から気づくんですね。
サービスエリアで昼食をとり、一安心して一路東へ。
さあ、山の中ですから中国自動車道だって、いつ制限があるかわかりません。
なるたけ早く、という気がせくのに反比例するかのように、R50とか60などの急カーブが続きます。
70キロの速度制限が出ているのに、周りの車は時速100キロ以上出しています。
こわっ。
そして、R70という日本で最大の急カーブを過ぎたとき、これはこのまま進んではいけない、と思いました。
まだ、夕方でもう少し東に進みたいのに、行きの際には気にならなかったライトの明るさが妙に気になり始めました。
暗い。
暗いんです。
ちょっと、高速で走行するには前が見えなさすぎる、というところまできました。
仕方ない、次のPAで車中泊しようと決めました。
PAですから、一般車よりもトラックが多く、食事処もない。とっとと寝ました。
夜中、あまりの寒さで起き出すと、雪が舞っていました。
休憩所に行ってホットコーヒーで暖を取ります。
寝袋は冬用ではなく、薄い。持ってきた衣類も春物ばかりで、もうタオルから衣類からすべて引っ張り出して体に巻き付けたり、かけたりして寝ましたが、凍死するかと思いました。
あまりに寒くて不眠気味でしたが、明け方4時起床。雪はやんでおりました。再び、ホットドリンクで暖をとり、いざ出発。
静岡県に無事に入ったところで、カーナビをTVにチェンジすると、ちょうど「令和」を発表するところでした。
中国自動車道で11時間立ち往生
帰宅して、お風呂に入ってゆったりとスマホでニュースをあさっていると、令和にあふれる中私の目を引いたのは「中国自動車道で11時間通行止め」のニュースです。
私が危険だと思ったR70の近所で、時間帯も私が過ぎたあと20分以内で起きた大型トレーラーの横転事故で上下線ともに11時間通行止めになったということです。
鳥肌が立ちました。
ちょっとでも時間がずれていたら、巻き込まれていたかもしれなかった。
いや、事故に直接巻き込まれなくても、11時間立ち往生していた可能性が高かった。
寄り道しなくて本当に良かった。
私はこの時漸く出雲大社で「無事に家に帰宅できますように」と祈念したことを思い出しました。
思い返せば、大社に参拝した後、とっとと帰れとばかりに日御碕神社には辿り着けないし、引佐の浜にも行けず、楽しみにしていた博物館にも行けなかった。
博物館に寄ったら、2時間は出てこないだろうから、絶対に立ち往生に巻き込まれていた。
本当に運がよかった。
いや、神様のご加護があったことを初めて実感しました。感謝、感謝です。
そして、出雲には本当に神様がいるんだと実感した出来事でもあります。
これが一度目。
長くなったので、二度目はまた今度。
ではでは。