台風19号の被害にあわれた方に心よりお見舞い申し上げます。一日も早く、元の生活に戻られることを心よりお祈り申し上げます。まだ停電中だったり、断水だったりとインフラが整っていない地域の方々がほんの少しでも安らかな気持ちを持つことができますように。
また、特に受験生は、不安でいっぱいだろうし、今後の人生設計がくるってしまったという子らもいるかもしれません。このサイトのわずかばかりの無料教材が少しでも君たちの役に立てばいいなと心から思っています。今後も、少しずつでも子どもたちへの一助となるようなものを挙げていきます。
今日は少し不思議な話をします。人によってはオカルトだ!嫌い!というようなドン引きされるようなお話ですが、自分自身の体験です。怖い話じゃないですよ。
箱根・九頭竜神社に呼ばれたこと
夏の講座が終わった8月末の休暇中に箱根・芦ノ湖へクルマ旅に出ました。静岡では34℃くらいなのに、箱根ではその時期に22℃しかなくて少し肌寒い。目的は、箱根神社・九頭竜神社です。
晴れ渡った青空の下、まだ迷っていました。直前まで諏訪湖へ行くつもりだったのです。
が、なぜか、清水のジャンクションを通り過ぎ、富士山を横目に見て…。気づけば箱根ルートでした。呼ばれたなという感覚です。
この呼ばれた感覚は、去年の秋、突然起きました。
これまで静岡で生きてきて一度も訪問したことのない久能山東照宮。
今まで全くご縁のなかったそこに行かねばならないという気持ちがある日ふと涌いてきました。折りしも、日本平に夢テラスがオープンしたばかりで、「まあ、話のねたになるなあ」くらいの軽い気持ちで初訪問。
そのときのことはまた、機会があったらします。ただ、それ以来、自分の中が開けた感触があったんですよね。
だから、この呼ばれた感覚は大事にしようと思います。
今回もまた、行かなきゃという気持ちになりました。どういうわけか、昔から龍が気になって仕様がなくて、それで諏訪湖の龍神かと思っていたわけですが、どうやら、九頭竜のほうだったようです。
箱根神社・九頭竜神社新宮で
で、箱根神社に参りました。多くの観光客が箱根神社に参拝していて、「これは静かにお参りできないな」と少し残念な気持ちで、まずは、主祭神へご挨拶。坂を上って、さらに階段を上って、日ごろの運動不足を嘆きつつ、息を整える間もなく、ゼエゼエしつつ向かいます。行きに見た富士山の元気がないような気がしたので「富士山を元気を分けてください」とお願いしました。
ここで私は頓珍漢なことをお願いしていたと気が付いて、正直、顔がほてってきています。というのは、箱根神社の御祭神は、ニニギノミコト・コノハナサクヤビメ・ヒコホホデミノミコトの三柱であるからです。つまり、富士山の浅間大社の祭神と同一神。元気がない人に向かって、当人(または身内?)に元気を分けてくださいって言ってるわけですよ。馬鹿ですね~。ただ、その時の心の発露だったのも事実です。
さて、気を取り直してすぐ脇の九頭竜神社・新宮へ。
そうしたら!
あんなに人があふれていた箱根神社内だったのに!
九頭竜様の場所には私の前に一組しかいません。
その一組がお参りしている間に、お賽銭を用意し、息を整えて待ちます。後ろに待つ人たちもいません。
私の番になりました。この瞬間、九頭竜様の前にいる人間は私一人になりました。
お賽銭を入れ、拝礼拍手をし目をつむって静かに向かいます。
「遠州から参りました、まっちゃあずきです。呼ばれましたか?呼ばれたようでしたので参りました」
まあ、そんなご挨拶をしておりましたら、お社の奥から体の火照りを覚ましてくれる涼風がふわりと静かに吹き抜けました。私にはそれが龍神様からのご返事だと思えました。「ありがとうございます」と拝礼をし、自然と笑顔になりました。
九頭竜神社・本宮で
次に、九頭竜神社の本宮に参ります。そうです、あの湖の中に鳥居がある場所ですよね。ここで、ちょっとミスしまして湖尻のほうへと移動してしまいました。ここからの方が近かったのに。
こちらもまた不思議な出来事がありました。湖尻への移動や、わざわざ遠いほうからの参拝など時間をロス。
九頭竜の森へ到着した時には16:30。閉館は17:00。
うわあ、間に合うのかなぁとドキドキしつつ、森の中を移動していくわけですが、もうだーれもいない。
芦ノ湖の水面にはさざ波が立っているが、ほかの音は一切なく、静謐な森林の空間がそこには広がっている。
まず初めに、間近の白竜の社に向かう。お賽銭を入れて、ご挨拶を先ほどのようにすると、突然、湖面が一度激しく波打った。
自分はその間もずっと目をつぶって神に参っていたので詳細は分からない。もしかしたら龍神からのサインだろうか。
だが、時間がないので、次のポイント本宮に行かねばと湖の横の参道を歩く。ちゃぷちゃぷと鳴る波音が耳に爽やかで、火照った体を冷やしてくれる風が心地よく、だんだん暗くなる森の中で一人きりで心細いはずなのに、一人ではないような安心感に包まれて本宮にやってきた。
女性が二人いた。親子だろうか。
本宮にお参りをし、波打ち際へと移動。女性たちの姿はもう見えない。
桟橋が立ち入り禁止になっている。でも、鎖で閉ざされているわけでもないし、普通に入れる。
ならば、少しだけと思い、桟橋に三・四歩入った。
途端にそれまで静かだった桟橋がキー、キィーっと音を鳴らし、横に大きく揺れる。
あ、これは怖いぞとすぐに陸上に引き返したところ、とたんに揺れなくなった。
あれえ?
さすがにもう一度桟橋に乗ることはしなかったが、帰る寸前にも白竜の社で感じた激しい波音が一度、バシャンっとした。
あたかも、魚の尾でたたくかのような音。
ただし、小魚が立てたような小さい音でなく、大きい魚(それこそ龍神様かもしれない)が水面をたたく音。
わかりやすい合図が欲しいと願っていたためであろうか。
私は、あれはやはり竜神様が合図を送ってくれたんだろうなと当然のように思えました。ともかく、「これからの自分の人生の導き」をお願いし、九頭竜の森を後にした。
後日談と富士山の夢
実際、神様がいるとかいないとかいうのは主観でしかないわけです。
ただ、私自身でいうと、出雲でも不思議現象があって神々のおわすところだと感じたし、芦ノ湖でもこうして神様の存在を感じられたのは事実です。
この後、レンタサイクルを返した直後に、雨がぽつぽつ降り出しました。クルマに戻ったので全く濡れなかったけれども、もう目的は果たしたので、箱根を後に、道の駅「ふじおやま」で車中泊。入浴は御殿場で市営の入浴場を使用。本格的な大雨で、気温は十九度に下がり、でも車内は暑くも寒くもない、湿気だけがつらかったけれども、扇風機を使えば何てことない。快適な車中泊ができました。
帰路では、富士山が元気に雄大にその裾野を広げていました。
ああ、今日の富士山はいつもよりも大きいなあ。青いなあ。元気だなあ。良かったねえ。
富士山に元気だなんて変と思われるかもしれませんが、そう感じたのでしょうがない。箱根神社の神様たちが元気にしてくれたんだなあ。ありがとう。ありがとう。
後日、富士山の夢を見ました。
いつもよりずっと近いところで富士山を眺めていたら、いつの間にか飛翔して富士山を上空から眺めているのです。
富士の火口が目前にドアップでくっきりと見えて、「ああ、噴火はしないね」と思ったら、グンと体が浮き上がって更に視界が広がる。富士の尾根ががっしりと大地に根差している姿です。ヘリコプター高度から飛行機高度へと、一気に真上に飛翔。
それを見て私は、ふと「富士山は日本の要」というフレーズを思い浮かべました。
そんな夢です。
更に後日。ふと、富士山は「国常立神」なのではないかとインスピレーションが降ってきました。まさに国常立なのではないかな、あの姿は。
そうしたら、ですね。あったのですよ。「宮下文書」というのに。
インスピレーションがぴったりはまる、そんなことが最近はよくあるような気がします。